健常者の意見は「死んだらお終いだ!」「愚かだ!」などなど
また、死んでしまったら
みんな「お悔やみ申し上げます」「合掌」などと言います。
しかし、死ぬことを覚悟することは、私はある意味、生きる
美学かもしれません。根拠は普通の動物類は自分の意思で死ぬ
ことはありません。人間のように心と脳の発達が高いため
いろいろと悩み、苦しみ、その果てに「死」を選択する場合が
あります。
私は双極性障害に苦しみ、自殺未遂を5回しています。
今でも死生観があり、なんの前触れもなく「死」を考える時が
あります。
そんな、私はあることに気づきました。
死のうとする直前に「顔」が浮かんだ人がいたら、その人に
相談することにしました。それは家族でも友人でも恋人でも
誰でも良いと思います。
そして、自分がこの世からいなくなった時の残された方々の
リスクも考えるようになりました。
私事ですが、会社経営がとても順調でしたがある日、双極性障害になり重度の精神疾患になりました。やがて、業績はどんどん落ちていき毎日、死ぬことばかり考えていました。
そして末期状態の時の私は精神薬を100錠以上服用して自殺未遂をしました。そして気づきました。今自分が死んだら、どれだけの人々に迷惑をかけてしまうかとリスクを考えました。
そして、死ぬ選択をやめて、事業を廃業する決断をしました。
廃業の処理を全て綺麗にしてから、死ぬかどうか考えました。
しかし、その後は「生きる」という前向きでなく、ただ「生きている」それだけで良いと思っていました。
これが私の死生観です。
ただ生きている。。。
それだけで十分なんです。
そこに気づき、生きる活力が少しづつ湧いてきたら、
二次的に今度は「生きがい」を作れば良いと思います。
よく、人とのつながりが大切という精神論や心理学的に言う
方々がいらっしゃいますが、人間は本来、孤独と向き合い群衆欲求が強くなるから人とのつながりが大切となるのです。
しかし、私は孤独でも良いと思います。
無理に人とのつながりを持つ必要はありません。
なぜなら、その他者の方々は勇気づけてくれたり励ましてくれたりしますが、根本的に他人を変えるということは不可能です
だからと言って全ては否定しません。
人とのつながりが欲してきたり、必要になった時に動き活動すればよいだけです。また、無理に相性の合わない人と交流する必要はありません。
もし、これから「自殺」を考えて、誰にも相談出来ない当事者
の方がいらっしゃれば、ご遠慮無く、ご相談下さい。