「トラウマ」は存在するのか?

最終更新: 1月28日



アドラーの心理学を、わかりやすく解説した「きらわれる勇気」という本があります。

私も5年前に、熟読して大いに共感しました。

そして、精神疾患が重度となり「ひきこもり」を2年間経験して、その中でもこの本を


バイブルのごとく、読み返しました


この本の、本質として「トラウマ」は存在しないと言い切ってます。

私はその考え方にとても納得していました。

そして、他の心理学者や哲学者、宗教学者の著書を読みました。

根本は、精神疾患になりひきこもりになり、自己破産して、いったい自分の人生の何が悪かったのかを、


後悔・執着・反省ばかりしていました。。。


また、それらの原因となった人物や事象を自分なりに決めつけ恨み・妬み・疎みました。

あれから、早いもので3年経ちました。

お蔭さまでいろいろと克服できました。


では「トラウマ」は存在せず、自分は変われたのか。。。

私は、再び「嫌われる勇気」を再読して、アドラーの変われる自分「目的論」について

言及してみました。


結論からいって私の中ではトラウマは存在しています。


だいたいの事は克服して、流せるのですが。。。

会社を破綻させて、管財人弁護士に

「つべこべ言うな!黙って言うこと聞け!コノヤロー!!」と暴言を吐かれたのは

人生最大のショックで今でも思い出すと心の傷が深くなり苦しいです。

この対応が原因でひきこもりました。


アドラーが唱える「目的論」で、ひきこもりたいことが目的だったかというとそうではないと思います。

また、フロイトが唱える「原因論」かといえばそうかもしれませんが、言い切れません。


「嫌われる勇気」の本の中でも「ひきこもり」の方を題材にして、アドラーは目的論を明確

にしてひきこもる目的を達成する手段として、不安・恐怖といった感情をこしらえていると


分析→結論づけています


しかし、私はこの「ひきこもり支援相談士」でたくさんの当事者と話してきましたが

私と同じで目的論もあるようでいて原因論もあり、そうでもないといった感じです。

決めつけて啓発することが当事者にとって良いかというと私はそうではないと感じます。


私がひきこもっている時は、ひきこもるしか手段がなかったのです。

これが目的かというと、目的ではなく選択肢がそれしかないという自分自身なんです。

原因と結果の法則のジェームズ・アレンやフロイトが言う「原因論」で、

前述した弁護士対応の「トラウマ」がひきこもるきっかけを作ったのは間違いない事実です


現在、ひきこもりの人口が400万人いると言われてます。

20年後には1000万人になると推測する人もいます。日本国民の10人に1人がひきこもりです。

このような、状況で「原因論」だの「目的論」、原因と結果の法則、自主性を高めると諭して、ひきこもりが減少するなら良いのですが増えている現実では、ただの学問にすぎないと

思います。


私自身、弁護士の暴言の心の傷は癒えてません

むしろ3年経っても、深まるばかりです


私なりの現時点での結論があります。

それは、人間は心と知能を持ってます。

そしていろいろな学習や経験・体験で成長して人間性が出来上がります。

そんな中で、当事者のほとんどが、なんであれ本人なりの人格形成が出来上がっています。

私自身、ひきこもっている時は「変わりたい」と思ってましたが


今はまったく思ってません


更に昔からの知人などは久しぶりに会うと変わってなくて安心した。

いつも話しして楽しいよ。と言ってくれます。


要するに、「心の傷=トラウマ」はあってもいいんです。

人間、変わることが全てじゃなく「普通」に生きていればいいと思います。

心理学も哲学も宗教学も興味があれば受け入れるし、興味がなかったり自分に合わなかったら、スルーしても良いと思います。


「心の傷=トラウマ」は時間が解決するのが私の結論というか持論です。

もし、時間が解決せず寿命を迎えてもそれは寿命だから受け止めるしかないと思ってます。