「究極」のひきこもりについて(私の考え)


日本の仏教文化で比叡山の「延暦寺」があります。

ここに、開祖である「最澄」からの流れでたくさんある仏教を極める「行」として

一人孤独になり山籠りを12年間する「修行」があります。


私は前々から興味はありました。

先日、その「修行」を達成したお坊さんがドキュメント番組で出演していました。

とても目がキレイで、いい人なんだなーと感じました。


私は、そこで大きな疑問というか定義に気づきました。

それは、この「修業」は内容はなんであれ、比叡山延暦寺及び開祖である「最澄」のブランド力を保つためのイベントに感じます。


普通のお坊さんなら、なしえない「荒行」です。

しかし、この日本の仏教文化の代表的な延暦寺を他の仏閣と格差やブランド力や人材力などの品格を形成するのに、あみだされた荒行なんだと気づきます。

この荒行から放棄する場合は「死」か「俗人」に戻ることを選択するそうです。


私は50代の元ひきこもりの精神疾患者です。。。


学生の頃からよく「大人」に

お前はもっと修行がたりない!修行しろ!!

とよく言われました。これは20代で社会人になっても言われてきましたよ。


では「修行」という概念は生きるうえで必要なのか?

「修行」しなければ人間として成長できないのか?

それこそ仏教やキリスト教、イスラム教などの原点となる考えが必要なのか?


まあ、まじめにいろいろ考えたり、勉強もしましたが、

私の考えはシンプルなんです。

全て肯定です。


しかし人間、年齢を重ねます。

だから、この12年間、孤独になり山籠りをする「荒行」でも

せいぜい40代ぐらいまでのお坊さんじゃないと難しいですよねー

もう、中高年クラスになったら、死んじゃうと思いますよ。


逆にですよ、、、

昨今、俗世間では中高年の山籠り?「ひきこもり」が増加の一途です。

どんどん量産されいます。

私はこの荒行を達成したお坊さんが、中高年の「ひきこもり」を援助できるかどうか

イメージしました。


私は出来ると感じました。

理由は、攻撃的でなく、威圧的でなく、お金の匂いもないお坊さんです。

私も3年前にひきこもっていた時は、攻撃的な人はとてもじゃないけど無理でしたね。

だからと言って、高額なカウンセリングで満面の笑みでやさしく対応されましたが、

お金の匂いがプンプンするのがわかりました。


私はひきこもり支援相談士でがんばっていますが、

今回とても勉強になりました。

究極のひきこもりを体験されたお坊さんですが、その人とじかに会ってみないとわかりませんが、お相手の居場所を許してあげて、尊重して、何か求められたら、一緒に考えるというスタンスが理想なんだなと思いました。



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