【実写】3.11「あの日、あの時。。」



今年、2021年3月11日で、あの「東日本大震災」から10年経過します。

被災された方々の皆様へ心よりお見舞いそして、亡くなられた方へご冥福をお祈り申し上げます。


2011年3月11日、私は北関東方面を2日に渡ってオートバイ雑誌の取材でツーリングをしていました。地震が発生する2時間半前の映像です。

私は、栃木県宇都宮市の「大谷石」でいろいろなライディングポーズをとり撮影していました。

結構ハードでした。


その後、取材班含めてお腹が空いたのでお昼を食べようとなり「大谷石」から少し離れて山小屋のようなお蕎麦屋さんで昼食を食べました。

オートバイは外の市営駐車場に停めました。

取材班含め、昼食を終えて次の取材現場へ行く瞬間です。

地響きがして、林の中にいた鳥たちがいっせいに鳴きだし逃げ出しました。

私とツーリング企画の主役の方とヘルメットの中でBluetoothのマイクセットでつながっていたので会話しようと思いましたが、二人共、無言でした。


正直、私は「怖い」というより耐えるしかないと思ってました。

そして、地震が収まり、取材班含めてこれからどうするとなりました。


もちろんこれから行く取材は中止にして、避難するがごとく帰る準備をしようとなりました。

そしてまず、ガソリンを入れようとなり国道沿いにあるガソリンスタンドに入りました。

まだ、地震直後だったのでガソリンはすぐに入れられました。

ガソリンスタンドの休憩室のテレビで仙台方面を写し悲惨な状況を見て青ざめました。


その次は、どうやって帰ろうかとなり高速道路はやめようと決断しました。

しかし、下道で帰るには情報がないからと思っていましたが、取材班の方がアイパッドを所持していて

地図ナビを利用して、裏道をどんどん抜けて行きました。

だけど、やはり国道を通らなければならず、大渋滞している中で走りました。


果てしなく続く大渋滞でしたが、私と一緒に走ってくれた方がとても良い人でお互い励まし合って走行しました。この大震災な時にオートバイでツーリングしている人なんて見当たりません。


少し、気持ちが落ち着いた時に会社と家族に連絡しようとなり、コンビニで対応しようと思いましたが

携帯電話はもちろんつながらず、公衆電話も行列です。

私はその行列に並び続けていざ順番が来たら、なんと公衆電話が壊れて小銭が使えずテレフォンカードしか使えません。私はガックリしていたところ、心ある人がテレフォンカードを使ってくれと言ってくれて私はとても感謝して、家族と会社に電話しました。


その後も、大渋滞を我慢に我慢して走り続けて、ようやく自宅近くまできました。

自宅から近い駅の前を通ったのは夜中の1時です。

その時の駅の前には、たくさんの人達がタクシーを待っていて、私はとても気の毒に思いました。


オートバイの取材や大渋滞の中走り続けたので、すぐにお風呂に入り、簡単な食事をしましたが

その晩は一睡もできませんでした。


翌朝、私は朝6時に全社員に電話して会社を休業する旨を伝えました。

そして社員に、被災地に関連する身内がいたら優先してフォローするように伝えました。


正直言って、私は、とんでもなく被災したわけではないので、何かを学んだとか教訓をえたなんて

偉そうに感じません。被災者の皆様の立場にはなれませんが、住む家もお墓もそして家族の命も津波に流されてしまった方々が1万人以上います。この方々を思うと、とてもつらい気持ちです。


時代は変わり10年経ちますが、今は「コロナ禍」の情勢になり、世の中が激変しました。

私も最初は自分の事は自分で守るという意識は強かったですが、今年になり知人がコロナ感染で

何人か亡くなられて、重症の方もいます。

だから、とても他人事ではなくなって強い危機感を感じています。


地球温暖化、環境破壊、気候変化、地殻変化、そしてウィルス感染、

ネガティブに考えたら、本当に精神病になってしまいます。


私は今考えられられるのは、この世に「生」を受けて、たくさんの人生体験をしてきた中で、

なんとか生きて毎日を送れているのは、共存する家族であったり、協力してくれるビジネス仲間や心ある友人や尊敬する人生の先輩たちのお陰だと感じています。

この意識は人間でなければ生まれない感情だと思います。

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