他者を恨んでしまう方へ

更新日:2月8日


恨むなと言われても、理性がきかない時もあります

俗世間で生きていれば、必ず人間関係にぶつかります。 よく、「人の悪口は言うな」「人を恨むな」とやさしくおっしゃる方がいます。

そういう方は、たいがい目上の方で穏やかで、お金持ちで成功している方が多いです。 しかし、人間という動物は複雑です。

ある意味、ジェラシーの固まりの世界です。


私は他者を恨むことは、自然だと思います


脳科学的に異常であれば薬で処方してほしいくらいです。

特に私の場合は暴力をふるった相手は決して忘れません。

通常の痛さより、はるかに怖く、恐ろしいと感じました。

お互い同意したケンカでの殴り合いは、意外とさらりと流せます。

しかし、先生や部活の先輩、学生時代の不良の先輩、仕事上の上司、社長、などから一方的に暴力を受けましたがやはり忘れません。

だからといって、いま現在までひきずってはいません。

恨むということは、脳に激しいトラウマがインプットされたような感じがします。

そして、月日の経過と共に、許せるか許せないかを自分自身が決めます。 ここは性格的な話ですが、忘れることができる人はうらやましいです。

しかし、忘れられず、かなりの月日をひきずる方々は多いし、普通かもしれません。

それでは、他者を恨む場合の解決方法はあるのでしょうか?


私は無いと思います


性格的に割り切れる人はハッピーです。 しかし、他者の行動によって心が傷つき、恨む気持ちになった場合は月日が解決することを望むか、相手が謝ってきた時に許せる心をもてるかだと思います。 それか究極は、高齢になり90歳ぐらいになり達観した心をもつような老人になれば許す気持ちになるか、忘れてどうでもいいことになっているかもしれません。

自分自身のコントロールこれが重要ですね!

一番の根幹で全てにあてはまる心理的なことが「恨む」ことではないかと思います。

この心の概念が「ひきこもり」「登校拒否」「自殺」など、自分を不幸におとしめた原因だと認識してしまいます。

では、こういった当事者に「恨む」心の概念に対して議論するならば、私は躊躇なくとことん恨んで良いと思います。

しかし、それを外部要因に出して法に触れることは駄目です。

自分自身の心の中で恨み、場合によっては便箋にその内容を書きまくるのは、ひとつの方法としては有りではないでしょうか。 私は「ひきこもり」や「精神障害者」になり、原因としては他者への恨みは当然あります。


一時的な恨みは、自力で忘れることが出来ます


しかし、心の中まで傷つき、修正不可能な状況にある場合は、やはり距離を置くか、その人間の情報を入れないかです。


とは言っても、トラウマでその人間を思い出すとまた、「恨む」モードに切り替わります。それでは、「恨む」という心の奥に傷ついた気持ちをどうしたら良いでしょうか?

人それぞれ、いろいろな方法があると思います。

しかし、「ひきこもり」「精神障害者」「登校拒否」などの社会から離れてしまった存在の、私含めた方々は、このトラウマを解消するのは並大抵ではありません。

健常者なら、簡単に答えてくれます。

「忘れなよ」とか「気にするな」などです。


そういうことを言われると余計に傷つきます


心理学も少し勉強しましたが、やはりあくまでも健常者の分析であって

「ひきこもり」「精神障害者」「登校拒否」などの当事者の心理には近づいていません。


しかし、共通することがあります


当たり前で恐縮ですが、皆感情を持った人間です。

私は他者を恨む気持ちを少し弱めて、小さな幸せを見つける気持ちに切り替えると、人間穏やかになり優しくなれるのではないでしょうか。

これを実践したら間違いなく顔に表れて、他人がビックリすると思うし、近寄って来ます。この小さな幸せを見つける行動は年齢や性別は関係ありません。

レベルが低い高いもないと思います。

余談ですが、私の場合、小さな幸せとは部屋を綺麗にして喉がかわきジュースを飲むと幸せです。

また、昔ながらの友人と食事をして他愛のない話しをすると幸せです。

こういった小さな幸せを積み重ね、その時のお相手に感謝する気持ちを持つと、


さらに幸福感が増します


他者を恨んだら、その分、違う他者と行動して小さな幸せを築いて下さい。

そうすれば、恨んだことより幸せの価値観が増し、

良い笑顔になるのではないかと思います。


解決方法は無限にありますよ!

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