営業職に目覚める!


26歳から営業職としてデビュー!

内縁関係が失敗し、職場にも迷惑をかけました。

いわゆる窓際族になってしまいました。

業務内容はどうでもいいような伝票の整理。


たくさんの量のシュレッダー処理などです

また、住まいが実家、武蔵村山市になったので交通の便が悪く片道2時間半もかけて通勤しました。

このライフスタイルが1年ちょっと続き、さすがの私は何のために仕事をしているのか、わからなくなり、やる気がなくなってきました。

同期、後輩たちは皆実力をつけ、海外研修などへ行って私はとても羨ましかったです。

ある日のことです


営業部から欠員が出て人手が足らないことを知りました。

私は社長と上司に懇願して営業部に配属となりました。

新しい営業部の上司からは好きにやらせてもらう感じでわからないところは聞く感じです。 まだ内縁生活の失敗のショックがありましたが、ここでがんばって見返すという情熱、パワーがみなぎり


懸命に努力して勉強しました


結果は少しずつ出始め、お客さんもつくようになりました。

そして営業会議にも参加させてもらい、数字を意識するようになりました。

そのころは、ハーレーダビッドソンの人気がではじめたころで私はハーレーに興味を持ったお客さんにはめざとく近づきハーレーの良さを熱く説明しました。

1年間がんばってやった結果


ある月は社内のトップになりました

しかし、私はハーレーよりイタリア製オートバイのドゥカティが大好きでした。

そして給与も上がり、念願のドゥカティを買いました。

うれしくてたまらなかったです。

不思議に思ったのが、会社ではこのドゥカティの直売に力を入れず全国各地への卸しに力を入れていました。

直売に力を入れほしいと懇願しましたが却下されました。

そんな時、名古屋の販売店がドゥカティを1番売っていて、カスタムパーツもたくさんそろえて、ドゥカティ業界を圧巻した社長と出会いました。


私はすぐにその社長のファンになりました

ちょうどそのころNHKの大河ドラマで「秀吉」がやっていて、名古屋の社長を信長に私は秀吉に例えて勝手にイメージしていました。

そして、どうしてもドゥカティビジネスを極めたいので、叔父の会社を約8年半勤め、名古屋の社長のところへ行く決意をしました。

名古屋には、何の身寄りはありませんでしたが、戦国時代が好きだったのと


名古屋の社長を信長に例えがんばって結果をだそうとしました


意外と聞き役に徹するほうでしたよ!

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大河原ライフプラニング
代表:大河原 康
​ひきこもり支援相談士・心理カウンセラー・ファイナンシャルプランナー
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