恋愛純情物語【最後の高校生活】



高校生活の最後の3年生(18歳)です。

この頃、私は人生で一番モテたかもしれません。

理由は学園祭で行う催し物を、全部自分で企画して実行して成功したからです。


特にビックリしたのは、1年生の女子たちから人気を得て、下駄箱の中にファンレターがたくさん入っていました。もちろんロッソちゃんとは付き合っていましたが、私は好奇心に従いました。そして学校の近所のファミレスでファンの子達と会おうとなったら、なんと10人以上来ました。そして会ったことを覚えてない男子の後輩も来てファンですと言われました。正直言ってビックリしました。


また、選択授業科目で私は「工芸」を選択しました。

基本、美術センスはまったくありませんが、工芸はある種、技術の芸当です。

籐編、ろくろ、抽象画、木工芸などを課題でやりましたが、発想豊かに作品が完成して

先生がビックリしていました。

工芸をやっていた女子たちからも人気を得てファンを増やしていました。


しかし、私にはプライドがありました。クラスの悪ガキグループの男友達との友情を優先しました。彼らは私が後輩に人気があるということはもちろん、知っていましたが、そんなことでいきがって、友達を失いたくないと思いました。これはテニス部の仲間に対してもです。


だから、ファンの後輩には、絶対に自宅を教えなかったし、手を出しませんでした。

夏休みが明けた時です。ロッソちゃんが変わってしまいました。茶髪に染めソバージュをかけて登校してきました。私はバランスが悪いと感じました。ある日、ロッソちゃんの自宅に電話をしたら、父親がでました。

そしたらなんと「娘にちょっかい出すな!娘が不良になったのはお前のせいだ!」ぐらいな事を言われました。私は直感で私以外に男がいて、しかも年上で不良なんだと感じました。


その日を境に、私はロッソちゃんと距離を置きました。

私は10代なりに心の傷を負いました。学校に行くとファンが私と話して喜んでくれる。

しかし、ロッソちゃんは違う道に行ってしまった。


私が決断したのは、男の友情です。

そして、ある男子生徒の虜になりました。別に性的に好きになってはいません。

この男子生徒は美術センスが抜群で作品を見せてもらったらビックリしました。

さらに、追い打ちをかけたのは聴いている音楽です。当時私はナンパな80年代の洋楽ばかり聴いていましたが、リズムアンドブルースやサイケデリックロック、グラムロックなどの

音楽を聴かせてもらいました。特にサイケデリックロックの詩が強烈で私は洗脳されていきました。ある意味ドラッグが身近に手に入っていたら、やっていたかもしれません。


特に、ドアーズのジム・モリソンのジ・エンドという曲は、崇高的に今でも好きです。

そんな私は少し大人になった気分で、ロッソちゃんの父親が与えた心の傷を癒やしました。

その後、大人のロックを聞きながら、夏目漱石や森鴎外、太宰治などの文豪の小説を読み

自分が自分で無く、わけがわからなくなり、勉強もまったくしませんでした。


そんなこんなで卒業式を迎え、自由時間になった時に、ロッソちゃんが私に卒業アルバムに

贈る言葉を書いてくれと言われました。私はザ・タイガースの名曲で

「いつまでも、いつまでも、色つきの女でいてくれよ!」と書いて別れを告げました。

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