東京都中野区で生誕しました

最終更新: 11月3日


大河原康 2歳ぐらいの頃です

私は昭和42年、東京都中野区で生誕しました。

家はあまり裕福でなく借家で風呂はなく、くみ取り式のトイレでした。 身体は健康体でしたが平均的に背が低く


小さいことをからかわれました


ウルトラマン、仮面ライダーがヒーローの時代でそれらに関するおもちゃは宝物にみえました。当時仮面ライダースナックというのがあってスナックを買うとカードがついてきました。そしてその中のカードに「ラッキーカード」と裏に印刷され、それをひいた私はワクワクしながらラッキーカードの景品をもらったことをよく覚えています。

中野区には駄菓子屋さんがいくつもあって今日はどこに行こうかと友達と相談しました。

しかし家が裕福でなかったので友達と同じペースで駄菓子は買えませんでした。


ちょうど5才ぐらいから貧富の差を感じました


しかし友達には恵まれていて、おもちゃを貸してくれたり、駄菓子をおごってくれたりしてくれました。

父は建築の棟梁で母は専業主婦でした。

父は優しく背中が大きく、私をとても可愛がってくれました。

私に手をあげることはまったくしなかったです。

ただ、父は外で飲んできて、かなり酔っ払った勢いで熟睡している私を起こして


からかうのはとても嫌でした


ひどい時は父に飲みつけのスナックに同伴させ、そのお店の人たちに可愛がられました。

しかし大人のあの雰囲気はとても嫌でした。

これは社会人になっても同じ感覚でスナックとかバーとかは大の苦手です。

つきあいレベルなら可能です。

母はとても怖かったです


とにかく存在事態が怖いのです。

しかし食べるものには不自由させず、大河原家の家計を守っていたと思います。

もちろん、優しい面はたくさんあり、甘えることができました。

お小遣いを全部使ってしまい、夕飯までに帰ってこないと怒られました。

家族では後楽園遊園地にも行きました。

幼少期、家族で行った後楽園遊園地はとてもインパクトのある思い出です。

なにしろ生まれて初めて乗ったジェットコースターには


たまげました!


その後、大人になって、いろいろなアトラクションも体験しましたが、ジェットコースターの思い出は強く、正直言って学生になってから行ったディズニーランドの感動より上です。よく、ジェットコースターは苦手という人がいますがわたしは5才の時に世の中こんな乗り物があったのかと


ワクワクしていました

家が裕福でなかったからといって、すねて反発して、悪い方向にはいきませんでした。

私は姉もいて、家族4人あたたかい家庭生活を送っていました。

父も母も愚痴や夫婦喧嘩をせず、常に現実と向き合ってくれていたからだと思います。

大河原ライフプラニング
代表:大河原 康
​ひきこもり支援相談士・心理カウンセラー・ファイナンシャルプランナー
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