死ぬほど食べた【小倉あんマーガリン】



私の50年ちょっとの人生は本当にいろいろありました。

3年前までは「ひきこもり」で重度の精神疾患で過去のことなんて振り返ることなんか

絶対に出来ませんでした。過去は全て「否定」していましたね。

トキは過ぎ「まとも」になって、このウエブを立ち上げブログを書くようになりました。


私の人生で一番仕事をしたのが「名古屋修行時代」ですね。

オートバイディーラーの店長職をやり、お店的にも個人セールスでも日本一になりました。

しかし、その陰で努力でなく、忍耐というか、鍛錬というか、心理的にはドMのような感じで仕事というか時を過ごすしかない事がありました。


とりあえず、自分でも今振り返ってみると、凄まじいのは3年間無遅刻・無欠勤で朝10:00〜夜7:00の勤務のところ、朝8:00出勤、夜9:00退社という勤務内容でした。さらに、インフルエンザでも出勤していました。


名古屋の社長は「当たり前だー」ぐらいな事を言ってました。

そして売上ノルマも厳しく、いつもスタッフは四苦八苦していました。

そんな、ある日、名古屋の社長は誰かに知恵を入れられて、ある一定の月間利益が達成しなければ、給与と賞与が減っていくシステムを提案されました。アメとムチではないですが、

利益が上がれば給与は上がるということも言われましたが、達成額ちょっとむずかしい金額でスタッフはモチベーションが下がりました。


私は、すぐさま今月数字になりそうな仕掛りの修理やバックオーダーの部品に入荷予定、

車両の納車待ち、全てチェックして根拠を作りました。しかし、目標の半分ぐらいしかいかず、どうしたらよいか名古屋の社長に聞いたら

「そんなもの、お前が考えるのが仕事だろーダメならお前はクビだー」ぐらいな事を言われたので、私は負けん気が強かったので

「社長、私に言っちゃーダメだよ!知らないよーん」と内心思いました。


そして、当時、車両営業は3人でとにかくアポをとろう、それからだ!と一致団結しました。そして修理部門はとにかく常連客をどんどん呼んで高額カスタムパーツを販売して工賃まるごと見積もって、妥協できる金額でやろう、部品の全国業者販売はデッドストックパーツを半ば強引というか強制的に送り、値段をつけてくれと言って数字を作りました。

運が良かったのは、全ての土日が晴れで天気がよく集客がとても出来ていて、スタッフのモチベーションが上がりました。


お昼に名古屋の社長が3階の社長室に呼びだしてきて、私は褒められると思ったら

「おい!ヤス!3分でメシを食え!そのぐらい、やる気を見せろー」と言うのです。

私は「わかりました。3分切れるようにがんばります」と言って

お弁当を2分で食べました。。。


月末になり、ほとんどの部門の数字がクリアできて、あとの部品の全国業者販売の数字を入れる段階の時に、数字があまりに高く業者の方々がみなさんとても良い人で強引な悪質通販みたいなことをやっても許されました。というか商品自体はとてもいいものですから。。。


見事、月間利益金額をクリアして、社長も喜び、みんなで焼き肉を食べに行こうとなりました。社員は20人ぐらいです。平均年齢は28歳くらいです。

みんなお腹が空き、あるスタッフは10人前食べるぞーと言ってます。


私が社員のオーダーをまとめて、注文しようとしたら、名古屋の社長はチェックさせろと言ってきて、注文内容を言いました。(カルビ20人前、ロース20人前、ハラミ20人前、

タン塩20人前。。。)

私は、名古屋の社長は「よーし!どんどん食えー」となるかと思ったら

なんと、

「ダメやー、肉はひとり3枚や!」と言うのです。

もうこれで、心は開いちゃいましたねー

だけど、これではお腹が空いちゃうので名古屋の社長に

「せめて、クッパの大盛りを食べさして下さい」と言ったら

OKをもらい、スタッフもなんとかなんとか、受け入れて楽しく飲食しました。


利益の数字の要求がきびしくなるにつれて、

名古屋の社長は、責任者を集めて会議を頻繁にするようになりました。

その前からは、私と名古屋の社長で朝8:00頃から2時間近くよくやっていました。


そんな時、私と名古屋の社長は朝食でおいしい手作りの惣菜パンや社長の奥さんが作るサンドイッチを食べてモチベーションになっていました。


ところが、責任者スタッフ3人がはいると名古屋の社長は最初は手作りの惣菜パンを買ってきたのですが、すぐにコンビニの小倉あんマーガリンばかり買ってきます。

最初は、普通に食べていましたが、さすがに10回目くらいになると、もう苦痛ですよー


最後は、みんな頭きて誰も食べません。。。

そしたら、名古屋の社長は「お前ら食べ物を粗末にするなー」と注意しますが、

私達は何も言わず、スルーしていました。


ある日、名古屋の社長は朝8:00の会議を6:00にするとなりました。

しかも、2月の冬で寒い、寒い、、、

しかし、私は動じず、会議資料を朝5:00から作成して名古屋の社長より早く来て

やっていたら、名古屋の社長は

「やすっ!俺の負けだ。。。お前スゴイよ」と言ってくれました。


冒頭にも書きましたが、もうドM状態ですね。

しかし、この鍛錬があったからこそ、今の自分があると思います。

だから、私は名古屋の社長にはとても感謝してます。

彼と出会っていなければ、二輪業界でたくましく、やっていなかったと思います。

17回の閲覧0件のコメント