死への誘惑

最終更新: 2月8日


死ぬことが生きる道という発想なんです

健常者の頃は、死にたいなんて思ったことは一度もありません。 特に会社を経営していて業績がうなぎのぼりの時は、毎日が楽しく、次から次へアイデアが湧き、優秀な人材が動き、あっという間に販売台数が日本一になりました。


人によっては「業界の秀吉」とまで言われました


その後、年商11億円以上やりオートバイミュージアムを建設して絶頂期の頃に、何か私の中で歯車が狂い、「死にたい」と思うようになりました。

その後、5回の自殺未遂をしています。

ひきこもりの時も


死に関して本気に取り組みました


また、6回目の閉鎖病棟での入院の時は、死ぬ場所を考え道具を揃える段取りを考えました。主治医はその私に対して「死ぬ」ことを全否定して生きるように守ってくれました。

特に一番死にたかった時期は、会社を廃業する1年前ぐらいでした。

資金繰りが追いつかず、頭も回らず、身体も言うことが効かず、次への戦略がたてられず、


右往左往するだけでした


以前の健常者だった私であればピンチにたてばたつほど、自分を発揮して不可能な交渉も見事にクリアしてきました。

私はこうなってしまったのは、なぜかとずっと思い悩み、苦しみました。 その結果、死への誘惑が私を襲い自殺未遂の行動に出たのです。 会社のマンションの15階の屋上から飛び降りようとして、また電車に飛び込もうとしたり山奥の公園で首を吊ろうとしたり、薬を100錠ぐらい飲んでしまい、いろいろしました。


しかし、運良く生かされています


高尚な考えも学びましたが健常者ではないので無理でした!

生きていて良かったとは思いません。

なぜ死ねないのだろうと思いました。

命の大切さや、尊さ、また仏教やキリスト教の教えなどの初歩的なことは学びましたが


その時の私には通用しません


明石家さんまさんの、名言で「生きているだけでまるもうけ」とありますが、私は受け入れられませんでした。

健常者の方が何か不幸なことが起き、死にそうな場面に遭遇して助かった時は命の尊さや大切さ、生きる勇気を感じると思います。

しかし、極鬱状態では


そんなことなど、おかまいなしです


なんでもいいから「楽」になりたかったです

本当に覚醒剤でもいいから、強烈な麻薬でもやって楽になりたいというのが本音なときがあります。

死にたくなり、錯乱状態になり、狂乱した時は、枕に顔をつけ大声で叫びました。


1時間くらい叫びました。

もうその時は声も出ません。涙と、鼻水、汗、毛穴も開いていたと思います。何回かは大便を漏らしました。普通ではありません。

なるだけ自分の部屋で父に迷惑をかけないようにしました。もう人間が人間でなくなりました。魂がどこかへ行き、壊れた自分を放置することしかありませんでした。

極鬱状態より死んだ方が


楽になるというのは事実です!

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