私の考え(茨城一家殺傷事件)


先日「茨城一家殺傷事件」の犯人が逮捕されました。

この犯人の素性や精神性はウエブやニュースで知りましたが、

ある意味「ひきこもり」で「精神疾患者」です。


ここから私の考えです。普遍的な考えで、曲げることは出来ません!

まずは、被害にあわれたご家族の方々に心よりお悔やみ申し上げます。

特に、この容疑者に重軽傷を負った、お子さん達の心の傷ははかりしれなく、

とてもつらいです。


さて、このような残忍な事件が発生して、いつも感じるというか私の考えは

まず、このような容疑者を犯罪心理専門家や医学的な精神科の先生や、さらにジャーナリスト達が、容疑者に近寄り、標本として扱いビジネスとしているのが、とても腹立たしいです。また、このような容疑者に対して、膨大な労力をかけて国は特別なチームを編成したりして、莫大な税金を使うことになります。


裁判でも刑事・民事において裁判費用及び弁護士費用も膨大な金額が発生します。


もちろん、刑が確定するまでは、人権が守られるので勾留中であっても衣食住は与えられます。これも国の経費です。


加害者は人権が守られて、億単位の税金で生きられます。

そして、馬鹿なマスコミというか専門家はビジネスチックになり容疑者を標本のように扱い

それを公開してお金にしています。


一方、被害者のご家族。。。

お子さん達は、まだまだ未成年で加害者の賠償責任も問える状況ではありません。

だから、亡くなったお父さん・お母さんの残した財産や貯蓄で生きていくしかありません。

なにしろ、壮絶な殺人があった家には恐怖で住みたくないと思います。


もし、引っ越して、身寄りがなかったら、国は普通に「児童施設」などの案内をするような

気がします。


もしかしたら、お父さんお母さんが生命保険に加入していれば、当分のあいだの家計は守られるかもしれません。


しかし、この事件の刑事・民事裁判をしても被害者側の弁護士費用は国からは出ません。

むしろ、容疑者に「死刑」であったり高額な損害賠償を求める場合、優秀な弁護士を雇う

ことになるので莫大な費用がかかります。


この茨城一家殺傷事件の倫理性などは、皆様それぞれの見解があるので

あまり議論しても、空理空論で終わります。

なぜかと言うと、容疑者との議論でないのであれば、意味がなく推測や邪推にしかすぎません。


私の考えはシンプルです。

なぜ、日本国は被害者の将来を守るプログラムがなくて、加害者を守るプログラムがあって

被害者は自腹をきり、加害者は国費で人権が守られて生きていけるのかが不思議というか

ありえません。


人類の歴史をみても、このような事件が起きれば、被害者は「恨み」復習に燃えると思います。これらを救う方法として、カウンセリングや宗教学、ヒーリングなどなどありますが、

客観的に見て、なんとなく言いくるめている印象があります。

なぜなら、それらを説いている人たちは裕福で精神的に安定しています。

ある意味、ビジネスなんです。


まだ、私は今の「ひきこもり支援相談士」での生業でこのような案件の相談はありませんが

私は現実に向き合い、経済的にどこまで可能で生きていけるのかを確認することです。

お世辞にも慈悲を述べるのは偽善に感じます。

お相手が悲しみや辛いこと、トラウマ、苦しいことを告白されて、

何を望み、何をしてあげることが可能かを、お互いチームで信頼関係を作っていくことが

ライフプランニングだと強く感じます。


この考えは普遍的で、変えるつもりはありません。





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